大学4年間、私はライフセービング部に所属していた。3年生の冬、友人から1本の電話が入る。「親戚にまったく泳げない小学生の女の子がいるんだけど、水泳を教えてあげてくれないか?」年齢は11歳、小学校5年生。彼女が通う小学校は私立で、教育方針が文武両道。依頼内容は、半年後、6年生の夏に行われる遠泳実習で、どうにか1時間泳げきれるようにしてやってほしいということ。
訊けば、これまでにスイミングスクールに通った経験もあるが、レッスンに付いていくことができずに、結局、十分に泳げないまま断念したそうだ。現状といえば、15メートル泳げたら上出来というレベルとのこと。そして、塾などの習い事が多いため、レッスンには週1回しか時間がとれないとのこと。
親御さんにここまでの話をきいて、あまりにも時間が少なすぎると思った。おまけに家庭教師自体、経験がない。安請け合いをしてがっかりさせたくなかったため、そのことを正直に告げ、断わろうと思った。しかし、親御さんの強い希望で、1時間泳ぐことが難しいならせめて100メートル泳げるように、という条件がつき、不安ながらコーチを承諾することに。
後日、いよいよトレーニングを開始。まず、レベルを確かめるために泳いでみてもらう。すると手足の動きや息継ぎ。すべてのタイミングがずれていることが一瞬で判断できた。その時に私が感じたのは“スイミングスクールはいったい何を教えてきたのか”という強い憤りだ。今でもはっきり覚えている。そこで、まず教えたことはスキルである。水泳におけるスキルとは水のキャッチと、手足や息継ぎのタイミングだ。一連の動きをリズムで覚えてもらうことに砕身した。
スタートから1か月半後、ひとつの結果が出る。なんと50メートル泳ぎきることを達成できたのだ。彼女も、自分自身に対して驚いていた。しかし私は素直に喜べなかった。目標は100メートル。50メートル泳げたとしても、その倍となると、スキルだけではたちゆかない。スタミナが必要になることを経験で知っていたからだ。彼女の体つきといえば細く、いかにも体力が足りなそうに見えた。そこで、泳ぎ込みの必要性を感じたが、“ついてこられるだろうか?”という不安でいっぱいだった。ところが実際は違った。泳ぐことの楽しさを知った彼女は、なんと一度も音を上げることなく、最後までしっかりついてきてくれたのだ。
夏が終わり、私の自宅に1枚のハガキが届く。差出人は彼女。「水泳実習、完泳しました!」という書き出しで始まる文面だった。そして家庭教師が終了した後も、彼女が高校を卒業するまで感謝の年賀状が毎年送られてきたのだった。彼女は自分の可能性を信じ、そして実現できた喜びと自信を、彼女の子供にも伝えるに違いないと思った。私はといえば、50メートル泳ぎきったときの彼女の最初の笑顔を今でも忘れられないのだ。
ここまでの経験すべてが、私のコーチとしての原点となる。
小倉 和宏
オグラ カズヒロ
1972年
神奈川県茅ヶ崎市生まれ
スイミング個人指導専門会社
株式会社アクア
代表取締役
水泳とその指導は、生涯をかけたテーマ。
私の人生そのものです。
全日本選手権 優勝2回
インカレ 優勝2回
世界選手権 2度出場(内1回は準決勝進出)
日本体育協会 水泳教師
日本赤十字 救急法救急員
日本ライフセービング ベーシックライフセーバー
日本SAQ インストラクターレベル1
32歳の時、アクアを創業。二年後に法人に組織変更。代表取締役に就任。
水泳個人指導のスペシャリストとして、多様化するニーズへの対応に尽力。
水泳個人指導歴21年。
生涯レッスン数は3,500レッスン超。延べ人数200人を超える。
その指導経験を生かし、独自水泳理論を展開し後進の指導にあたる。
新聞、雑誌に多数掲載、ラジオパーソナリティ、テレビ出演等幅広く活動。
現在は水泳指導専門会社の代表として組織マネージメントを行いながら、
水泳個人指導の多様化するニーズに応えるべく、日々レッスンデータに目を光らせている。
また後進の指導や顧客カウンセリングなど現場業務も精力的にこなす。